日本の経済成長は車と共に成長してきました。
太平洋戦争の真珠湾で敗北し、1945年8月15日に降伏し全てを失った日本。
あれから、70余年。日本は目覚ましい発展を遂げ、先進国として世界の発展に貢献してきました。
この、発展の歴史は同時に自動車業界の発展の歴史でもあります。
なぜ、日本は世界のトヨタと言われるようなグローバル企業を生み出せたのでしょうか?
何もなくなった日本
1914年から1918年にかけて世界の列強諸国を巻き込んで戦争が起こりました。いわゆる第一次世界大戦です。
第一次世界大戦のときは、欧米諸国が同盟国でしたから、資金調達も容易で、物資も沢山仕入れることができました。
その頃から、日本は武器の製造を担い、同盟国に兵器を流していました。
安土桃山時代から、銃器を作るのが得意だったので、日本製は高く評価され、良く売れたためとても国は潤いました。
その背景もあり、日本では武器製造や軍用トラック等の鉄鋼業が盛んになりました。
第二次世界大戦勃発
しかし、その後の1939年から始まった第二次世界大戦が火ぶたになって、日本は苦境に立たされます。
敗戦後、国民からお金も物資も取り上げてまで製造していた工場は、武器を作ることを禁止され、次々と閉鎖していきました。
残ったのは廃工場と多くの失業者達でした。
この問題を解決するため、武器生産工場とその職人を使って車の製造ができるように政府も力を注いでいきました。
具体的には、海外から車が輸入できないようにし、安心して日本国内で車を流通させる土壌を作りました。
敗戦後は乗用車の生産が禁止され、軍用トラックのみの生産しか許されていませんでした。

飛ぶように売れた日本車
1950年代は年に数百台のでしたが、その後1960年には乗用車の輸出台数が10,000台を超え、1970年代初めには年間100万台を超える乗用車が主に米国に向けて輸出されるまでになりました。
その背景としては、円安ドル高で当時の日本車はアメリカではとても安く購入ができたこと。
1973年のオイルショックににより原油が高騰したことによって、燃費の良かった日本車が好まれたことが原因でした。
もともと、改良や精密な仕事が得意な日本の土壌があったためか、このことを発端として世界に燃費のいい車として世界に知られるようになり、
日本は自動車のシェアを広げていくことになりました。
戦争から発展した自動車産業
モノづくりの土壌は刀造りから始まり、火縄銃、そして重火器と職人の技術をいかんなく発揮していきました。
さらに、戦争による鉄鋼業の発展によって生産体制も容易に揃えられたことから、
戦後の復興における重要な産業になり得たのだと思います。
最近は日本の自動車メーカーはシェアを縮小していっていますが、2020年にはトヨタが世界第一位のシェアに返り咲きました。
日本の発展と共に成長してきた自動車産業。
今の不況を、自動車産業の更なる発展によって打破していただきたいですね。
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